「おしゃクソ事変」で人生が変わった有吉弘行

有吉弘行は元々お笑いが大好きだった広島の田舎少年でした。

高校卒業前に巨人師匠の弟子入りオーディションを受けて見事合格。この様子は放送され、番組の司会者は島田伸助でした。

狭き門をコネもなく実力で勝ち取った有吉ですが、半年で巨人師匠のもとから去ってしまいます。

今回は有吉がここまで有名になるまでの経緯に迫ります。

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巨人師匠のもとを離れてから一発屋になるまで

巨人師匠から離れていった後、お笑いの道を諦めきれず友達の森脇を誘ってコンビを組むことになりました。

当初二人はお金が無かったため、野宿で生活していたそうです。そしてこのことが、日本テレビの電波少年という番組のディレクターだった土屋氏の耳に入り「ヒッチハイクの旅」を始めることになります。「ヒッチハイクの旅」は人気コーナーになり、全国区の知名度を誇ることになりました。

その当時から毒舌や不平・不満は面白かったそうですが、視聴者は人間が極限にいること、そしてピュアに頑張る姿を求めているとのことでほとんどカットされました。

その後、日本に帰ってきても、アイドル性が求められ、本来の個性や力を出すことができず、徐々に人気が落ちていきました。

暇になってからは、一日中テレビを見る生活を送っていたそうで、その時に、芸能人の矛盾点や、いやらしさが目についたそうです。

有吉の発言はただのヒガミやヤッカミではなく、的を得た感想が多いため、ダチョウ倶楽部の上島から面白いと褒められることもあったとか。

そして、芸人が集まる場所ではすごく面白いと噂が広まり、「内村プロデュース」という番組に呼ばれるようになり、猫男爵という破天荒なキャラクターや大喜利において爪痕を残すことができました。

そこから一発屋として絶対的な立ち位置になり、一発屋関連の仕事が増え始めることになりました。

「おしゃクソ事変」から今に至る

有吉は、「アメトーク」で旬な芸能人が集まった回において、「一発屋にならないために」というコーナーを任されることになりました。その番組中、品川庄司の品川祐のウザイ芸風を揶揄したあだ名として「おしゃべりクソ野郎」と命名したことで爆笑をとります。MCの宮迫は客席がゴーっと揺れたと表現しています。

番組放送後、関係各位から品川にあんな風に言ってくれてありがとうと言われ、芸人のハチミツ二郎からもガッチリ握手を求められたそうです。

「おしゃべりクソ野郎」発言の後、芸能人の的確なイメージを皮肉った「あだ名芸」で番組に多数呼ばれるようになり、見事「二発屋」として芸能界に返り咲くことができました。

有吉はこのことを「おしゃクソ事変」と呼んでいます。

しばらく経ってあだ名芸を封印しても、人気は加速していきました。
そして今や冠番組を多数持ち、ツイッターのフォローワー数は日本一にまでなったのです。

ちなみに、ここまで有名になった有吉だが、同ランクの他事務所の芸人たちよりもギャラが安いのだとか。

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